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表現の「ツボ」 [mamaruのこぼれ話]

昼寝をしようと次男を寝室に連れていったら、次男が木の輪っかの形をしたがらがらを握っていた。
布団の上に寝かせたら、ぽとりと落ちたがらがら。

うららかな春の昼下がりの、ほんわかとした日だまりの中で、私と次男でごろごろとしていた。
そのうち、私はがらがらを手にとって、顔に当てて「眼鏡~♪」って言ってみたり。
電車のつり革に見立ててぶら下げてみたり。

そうやって遊んでいるうちに、シンプルなそのがらがらは、木でできている美しいがらがらである、ということだけではなくて、手触りも、音も、形も、これは子どもが楽しめるように、って、制作者の思いがぎゅっと結晶して、なるべくしてこの形になっているんだなぁ、って分かった。

いいおもちゃって何だろう、って考えて、結局、ほとんどのおもちゃがいいおもちゃになり得る(http://blog.so-net.ne.jp/mamaru/2007-03-18-1)という結論には達したのだけれども、とってもいいおもちゃ、と言われるものたちには、それだけ多くの、混じりけのない、子ども達への思いが詰まっているんだな、と思う。

だからこそ、大量生産もできないし、値段も高くなる。

でも、そういうのは、自分で宣伝をしなくても、ファンは産まれるし、必ず、その価値が評価される。

ネフ社の製品も、大人は一瞬、その美しい形や色のデザイン性の高さ、ということで評価しがちだが、おもちゃの場合は、そのデザイン性も、それがデザインのためのデザイン、ではなくて、こどもの感性を豊かに刺激して楽しく遊べるように、という想いの結実だからこそ、美しいのであって、形だけ、美しいわけでは決してない。その証拠に、大人が見たり飾ったりして楽しむだけでなく、子どもが自分のおもちゃとして豊かに遊べるんだもの。いや、おもちゃで遊ぶことなど忘れた大人も、夢中で遊んじゃうんだよね。あれは。

絵本にしたってそうだ。

最近、浴びるほど児童文学、絵本に触れて、また同時に、その対象である子ども達にどっぷり浸かって観察していると、優れた絵本は、それだけこどもの世界を的確に切り取っていたり、想像の世界であっても、そのこどもの世界を立脚点にして、広がっていったものだ、ということがわかる。

キャラクター云々ということではなく、観察力と想像力の行き着く先が創造力なのだ、と。

だから、その子どもを観察して、その子どものことを思い続けているママは誰しも創作者になれる。

もちろん、プロの作家さんは、それだけ幅も広ければ、スキルも高いし、子どもの有無にかかわらずそれが成し遂げられる、という違いはあるけれど、毎日、自分の子どもにお話をしてあげるくらいのことは、子どものことを毎日見て一緒にいるママなら、きっとできるはずなのだ。

そのお話がたとえ、むちゃくちゃで落ちがなくても、いいのだ。
ママがこどものために作る、世界で一つのお話であること。
それが素晴らしいのだから。

ま、でも、プロは違うけどね。プロの話はそれなりのクオリティが必要だもん。

結局、おもちゃに限らず、写真でも、文学でも、書道でも、音楽でも、絵画でも、はたまた、結婚式のブーケのフラワーアレンジやコンサートやイベント、講演会の企画といったものでも、お料理やお酒の世界でも、農業でも、ビジネスでも、ホームパーティや旅行、日常生活でも、そのすべてにおいて、「いい仕事」「楽しいこと」「優れているもの」というのは、どうも、こうして、人間やその営みを、どれだけ観察して、そこから想いを広げていけるか、ということにかかっている気がする。

対象が具体的にいるのなら、その人をどれだけ深く感じてその人のために、表現できるか。
対象が集団になったとしても、その集団にどれだけ深く想いを寄せられるか。

で、極めていけば言っただけ、「プロ」と呼ばれる存在に近くなる。

もちろん、表現するためには、その表現手段においての「スキル」も必要なんだけど、それは二の次で、まずは、人間やその営みへの興味や愛情、そして、どれだけそこに「想い」を託せるか。その能力が研ぎ澄まされれば研ぎ澄まされるほど、仕事は豊かに、また、幅を広げ、結果として、スキルも、高くなっていくんじゃないかな、と思えてくる。

私が進学先を決めるとき、いつもはクチを出さないじいじが、
「四年制の総合大学にいけ」
と言った。
「写真がやりたければ、大学を卒業してからでも身につけられるし、俺は教えられる。だから、大学に行って、いろんな人間を見てこい」
そういったのだ。

そして、私は、一年間の浪人を経た結果、母校・早稲田大学へと進学した。
じいじが、いつも、ラグビーや駅伝を応援していて一番身近だった大学。
ま、たまたま幸運にも受かったというのはあるんだけど、自然と第一志望にしていたのだ。

家庭の事情で写真の技術を身につける道に進んだ彼が、たぶん一番行きたかった場所。
なぜなら、そこが、どれだけ豊かで、いろんな経験をできる場所かを知っていたから。
それは、たぶん、社会に出る前の彼ではなく、社会に出て、そこを出た人間と仕事をして、そのときに、そこに行っていればもっと自分を広げることができた、と分かったから。

もちろん、じいじは、大学に行かずとも、それを成し遂げたことは今の彼の生き様と背中を見ていればわかることだが、でも、行かなかったからこそ、その価値が分かり、子どもを進学させたい、と強く感じたのだと想う。

まぁ・・・そこで私が何をしてたかっていうと、ぼーっと授業に出て、授業を記録することや自分のツボにはまる課題のときは熱心だったけど、ときにカンニングしたり、一夜漬けしたり、さぼってドライブにでかけたり、サークルでバスケットしたり、麻雀したり、朝まで飲み明かしたり・・・と、たいしたことはしてないんだけどね(笑)。

でも、物の見方のイロハは、そこで学んだような気がしている。

で、話は戻って「表現」のほうだけど、文学の生産者として華々しい活躍をしている友人編集者に聞いたのだが、最近文学賞への応募が増えているけど、クオリティが下がってるって本当?と聞いたら、その通りなのだという。

独りよがりな内容なのかな、と思ったら、「てにおはがちゃんとしているだけでいい、って思っちゃうよ」と苦笑していた。

書道などでも、新進気鋭の書家として評価をされている方の中にも、文字の書き順というような書道のルールができていない方がいるということだ。

こういうある程度のルールが明らかにある表現方法ですらそうなのだから、音楽や美術など、一見して「前衛的である」と自分で思いこみやすい表現方法だったら・・・。

余談だが、木の葉さんは五線譜もろくに読めなかった趣味の馬頭琴弾きで、すぐに子守にかり出されるので練習もろくにできずスキルと言われれば「わはは!おばさんの遊びだもん」と言うようなシロモノだが、師事していたモンゴルの人間国宝みたいな先生に、すごくいい演奏だと褒められていた。スキルの高い人は他にもいっぱいいたけど、木の葉さんの演奏がいい、って。

それはなぜか。

それは、彼女ははっきりいってスキルはまだまだだけど、人間が豊かだから。
その曲やモンゴル、モンゴルの人々、そして、目の前の観客、いや、自分の暮らしやそのすべてを彼女が愛しているから、それが音楽の形で現れたのだ。

ルールが見えにくい、音楽や絵画だって、何でもあり、じゃなくて、やっぱり、人間の幅や豊かさがにじみ出てくるものだなぁ、と思った一こま。

建築なんかでも、格好はいいけど、暮らしてみると、えらく使い勝手がわるいよなぁ、っていうのもあるよね。例えば、この家で、子育てができるか? いや、ふたりの子ども抱えて裸で走り回らなくちゃいけないのに、この大きなガラス、カーテンできんやん!みたいなのとか。生活実感と伴わないデザインってたまに見かけるように思う。

かっこいいけど、使い勝手もいい。
用の美、を満たすような、そんな表現こそ、本当に優れたデザインなんだと、私は想っている。

そういう意味では育児だって、ビジネスだって、「表現」の一つである、というのは、今の私の実感。
それも、やっぱり、深い観察力と考察力、想像力があれば、効率よく、楽しく、また、高いレベルで仕事ができるんじゃないかと感じるのだ。

ということはつまり、人間は産まれた以上、何らかの表現をして生きていくのだろう。
いや、社会人になる、ということは、表現者になる、ということなのかもしれない。

そう思うと、わが子達には、普通の気取らない日常生活を、楽しく豊かに暮らしていける力を、一番に育ててあげたいと思う。そして、そこから自分を自分で伸ばしていけるすべを。

いつか、彼等が何者かになりたい、と思ったとき、何者にでもなれるように。

新進の指揮者として頑張っている方と話したら、指揮者になるには楽器も知らなくちゃいけないし、その曲の背景から、歴史、アレンジ、何から何まで、一曲振るために膨大な勉強をするんだって。
一流の演奏家だってそうだ。

スポーツで秀でた人たちだって、ただぼーっと運動バカと言われてやっているわけではなく、そのときに最大のパフォーマンスができるように、ありとあらゆる努力をしているのだ。
本人が、それを努力として、意識していなかったとしても。

でも、感じる力と、そのために何かしようと思うことができれば、きっと人は努力できるし、スキルも身につけていけるはず。

こどもたちが、自分自身と、自分の暮らしと、そして、自分の身の回りのすべてを愛せるように。
小さくて素朴な毎日の営みを、いつも楽しく過ごせる感性。
それだけを身につけられれば、後は勝手に、育っていくんじゃないか--。

ふっと、そんなことを考えた昼下がりなのだった。


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ごまのお礼状。 [mamaruのこぼれ話]

今日の東京は冷え込んでいます。
家を出たら、ん?ちらりほらりとちぃ~っちゃな空からのお便り!
春の雪、です。
長男は「雪だるま!」と興奮していたが・・・もう外は明るい・・・。

おかげさまで、子ども達はふたりとも経過順調です。
ただ、ぶりかえして、ここまできてるから、この週末もおとなしく過ごさねば。
薬飲んでるふたりだからね。
週明けの診察が勝負!

土曜日は近くで同窓会があるのですが、やむなく欠席。
時間帯が夜にかかると、どうも子連れは動きにくい。
まぁ、ふたりの健康が第一。
無理させて、悪化させるくらいなら、ママは引きこもるよ。
今は子育てが最優先、ということで。

長男は今朝、起きると自分で洋服をだして、着替え、パジャマを洗濯機へ。
食事の後は、もちろん、自分のだけでなく、家族全員の下膳、冷蔵庫への片付け。
ママのお茶も、自分で飲み干し、茶碗をかたづけてくれてしまう徹底ぶり!
・・・やりすぎ?・・・ともいう。

しかも、今日は、次男に離乳食を食べさせるというので、やってもらいました♪
いやー、すごいね。
ブームに終わらず、このまま、お手伝い好きに育ってくれたらと祈ってます。
本当に、手伝うことが、自分でやることが、嬉しくてたまらない長男です。

次男は、なんと、一瞬、お座りができるように。
はやっ。
寝返りも自由自在になり、ふと気づくと、あれ?向きや位置がかわってる!

そして、前進目指してうごうご・・・あれ?くるくるまわっちゃう~・・・という。
いろいろと興味も広がり、目指すモノに到達できないと、うえーんと悔しがるのが可愛い☆
4月の入園までに、はじめてのはいはいが見られるかしら♪

さて、昨日、数十年ぶりに、ごまを煎りました。
去年の暮れ、Oさんのお母様よりいただいた、九州産の有機のごま。
ようやく、煎る心のゆとりができたんだよねぇ。

昔、実家には、ごまを煎るお鍋・・・焙烙みたいなもの?があったんだよねぇ。
ということは、昔はごまは家で煎ってたってことだよね。
最近はいりごまを買うのが当たり前になってしまっているけれど。
成田山できんごま買った思い出あるもんなぁ。

我が家には、そんなものはないので、フライパンに蓋をして、ゆっくり、ゆっくり--。
ぱちん、ぱちん、と、ごまが、1つ2つとはじけ・・・さて、できあがり!

スプーンでぱくぱくそのまま食べちゃうくらい、ごま狂いの私。
昔、弟に「スプーンつっこんだらキタナイだろっ」と言われて、「触れたところのごまはスプーンにくっつくから大丈夫だよ」と言い返した姉!
さてさて、正解はどっちでしょう???

・・・で、炒りたてのごまは、さすがにいい香り!
ふぅ~っと香りを吸い込んで、久々に、スプーンでぱくり☆
きゃー、おいしいっっ。
やっぱり、ごまがいいと味が違うわ~。

で、隣にやってきた長男にも、「ごま食べる?」と聞いたら食べるというので冷ましてあげたら
「もっと!」
だって。血は争えない・・・。
ごま狂いがもう一人誕生した模様です・・・。
二人でスプーンつっこんでは食べてる!
そう、つばにくっついたごまはスプーンにくっつくから清潔・・・はなず(笑)
ま、家族限定だし、この勢いだとあっという間になくなりそうだし・・・ま、いっか!

本当に感動的なおいしさ。

そして、久しぶりに、お手紙を書きました。
その感動を、ちゃんとお伝えしたくって。
携帯メールでも繋がるんだけど、本当はこういうときは一筆したためたいのが私の気持ち。

普段はその、ちょっと一筆、がなかなかできなくてねぇ。
でも、こんな雑誌を読んだこともあり、やっぱり書こうと一念発起。

クロワッサン 2007年 3/25号 [雑誌]

クロワッサン 2007年 3/25号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2007/03/10
  • メディア: 雑誌


・・・余談だけど、「クロワッサン」って、もう少し年齢が上の方がターゲットかと感覚的に思っていたのに、最近、結構ツボでよく買っちゃうんだよね~。
少しは大人になった証拠、なのかな。

お便りは、お気に入りの鳩居堂のピンクの罫線はがきに、ボールペンでしたためました。

この手紙を書く、というのも、これまた、ちょっとした心のゆとり、を感じるひととき。
長男、次男がずっと家にいても、やろうと思えば、できるものだ。
パパが飲み会や出張で不在だったとしても・・・。

心のゆとり、は、誰かに作ってもらうものではなく、けっきょく、自分次第なんだよね。
時間も、「モモ」が教えてくれるように、立ち止まればできるものなのだ。

仕事でも、人とのつながりを大切にしていきたいから、メールや印刷のお手紙以外にも、ちょっと一筆啓上、のゆとりを持ちながら働いていきたいなぁ・・・。

しかし、やっぱり、お手紙を書くっていいね。

でも、字があんまり上手じゃないんだよね・・・。
かっこよく書きたいなぁ・・・お習字か、ペン習字・・・練習しようかな・・・。

しかも、ボールペンじゃなくて、万年筆で書きたいなぁ・・・。
昔、贈ってもらったのをお手入れしようかな。
それとも、仕事復帰に向けて、自分のために、ちょうどいいのを探してみようかしら。
育児を頑張ったご褒美、と、これからの毎日でも、一筆、という気持ちを忘れないように。

まぁ、でも、こころだから、格好よりね、と、つたない文字でしたためました。
ぼちぼち、上手に書けるように、練習していくとしましょう。

そういえば、実家にいる頃--。

木の葉さんとじいじは、何かをいただくとすぐ、ちょっと一筆、としたためて投函するのが常でした。

木の葉さんが巻紙に、さっといただきものを描き、じいじが筆でさらさらさら・・・とか。
木の葉さんの絵手紙とか。
大きなものをいただくと、はがきを2枚使って出したりして楽しかった!
彼等は、本当に、こまめに手紙をやりとりしていました。

そのちょっとがなかなかできないんだけど、いただく側はそのちょっと、が嬉しいんですよね。

そういえば、私も、大学浪人していたとき、毎日郵便屋さんが来るのが楽しみでねぇ。
出さなきゃDMしか来ないんだけど、それでも、ポストでコトッと音がすると、駆けていって。
それだけが楽しみだったんだよね。

近所のお友達が入院したときも、木の葉さんは日々の小さな出来事を絵手紙にして、毎日おうちのポストに、ことん。
退院後、入院中はそれが何よりの楽しみだったとご友人より喜びの声。
入院中って、病み衰えた姿で、実はあまり見られたくないことも多いですよね・・・。
なので、私もあまりお見舞いにはうかがわないのですが、毎日のお便りって素敵な、何よりのお見舞いになりますよね。

遠く離れた九州のおばあちゃんにも、よく絵手紙を出していました。
で、遊びに行くと、大事そうに、文箱から、それを取り出していたおばあちゃん。
手紙だからこそ、のうれしさ。

1枚のはがきが、小さな一言が、こんなにも人のこころを豊かにするなんて。

暖かいこころを伝える確かな手段。

手紙上手になれるよう、この春から、少しずつ、やってみようかな。

そう、今日舞い落ちてきた空からの手紙のように--。


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じいじが教えてくれたこと。 [mamaruのこぼれ話]

木の葉さんが自分に与えた影響(http://blog.so-net.ne.jp/mamaru/2006-12-26-1)を書くだけで、じいじを書かなかったから片手落ちだ。

だって、自分を構成する要素を100としたらたぶん、木の葉さんとじいじの影響で育っていったことがそれぞれ30ずつぐらいはあるはず。残り40のうち、たぶん20くらいがそのほかの周りの皆さんからの影響で育っていったことで、たぶん自分で育てているのはさらに残った20くらい。いや、その20のうちの幾ばくかは、夫と出会って育てられたものや、これから息子達に育てられていくモノであって、自分で育てたものなんかほとんどないのかもしれない、とも思う。

じいじは広告写真を生業とするカメラマンである。

「父がカメラマンで、母は絵を描きます」
そう言うとみんな、芸術家一家だとリアクションするのだが、そういわれるとなんかすごい違和感を感じる自分がいるのだ。

父は会社という組織に所属して写真を撮っていた。
もちろん、個人として名前がマスコミ電話帳に出てたくらいだから、フリーと大差ないのだろうけど。
でも、私にとって、父は会社員、サラリーマンというやつだった。

会社に働きに行って、仕事をして、帰ってくる。で、お金をもらう。
それがサラリーマン、という認識で、他の家庭と自分の家庭を比較したこともない私は、一般のサラリーマン家庭の一つが我が家である、という認識でずっと育っていた。
芸術家とか、マスコミとかいうと、なんかバブリーな感じで、自分が育っている環境とは別世界の話のようで、車もなく、ブランドモノを身につけるでもなく、「かっこいい職業」についている父、という考えはみじんもなかったのである。

幼い頃は、私や弟がモデルとして父の撮影する広告に出演したこともある。
父はたくさんの商品の撮影をしているから、このブログをお読みになっている人は、名前がついていないのでそれと気づかないかもしれないが、父の撮影した写真を一度は目にしたことがあるはずである。あ、乳幼児は別よ(笑)。

で、父の撮影した写真はもちろん周りに山ほどあったが、作品、として見たことは全然なかった。

むしろ、そういった社会人としての父の姿より、私にとってはいろんなことを教えてくれる存在としての父の方が印象深い。よく考えると家にいる時間というのは、今の息子達のパパである夫がそうであるように、よそのお父さんたちよりずいぶんと短かったはずだが、でも、私の思い出の多くは家庭人としての父の姿である。

週末に料理の腕をふるう、というのは友人たちは皆承知のことだが、小さいときは、魚をさばいたらその骨をかりかりになるまで揚げた骨せんべいや、リンゴのフリッターなんかのおやつを作ってくれたこともある。

魚釣りに連れていってくれたり、竹馬を作ってくれたり。近所の夾竹桃の木を伐採したときに、皮を剥いて竹刀を作ってくれたのも思い出深いし、二階建てのりかちゃん人形用のドールハウスなんかを手作りしてくれたのも父。小刀の使い方とか、工作は父に教えてもらったような気がする。ひごのかみ、とか使ってね。

今、住んでいる実家に移ってからは、みんなで家のペンキ塗りをしたり、いろいろと日曜大工にいそしんだのも懐かしい。日曜大工センターに通って、いろんな資材を調達して、家がどんどん変わっていくのが楽しかった。大きくなってからも、掘りごたつを一緒に作ったり、楽しかったなぁ。

そういえば、木の葉さんの記事のところで、習字を習ったことはない、と、書いたが、私が初めて文字を書くことを習ったのは、小学校にあがるちょっと前、父から習字で、だった。半紙ではなく新聞紙を裂いて、そこに文字を筆で書く。なぜ鉛筆ではなく筆からはじめたのか忘れてしまったが、私の文字を書くことの最初は筆だった(でもその後何もしてないので全然達筆じゃありません・・・)。

また、家には父の仕事に関連していろんな資料があった。
それを見ることも私は好きだった。

雑誌「Olive」を読むのを楽しみにしていた頃、同時に、父がたまに登場する雑誌「コマーシャルフォト」を見るのも同じくらい楽しみだった私。テレビで流れているCMがコマ送りで掲載されていて、台詞やBGM,作った人の名前などが出ているコーナーが一番のお気に入りだった。
なんか、CMの裏側を見ているような、紙芝居を見ているような。そういう感覚。
いろんな人が、想いを伝えるために、いろんな工夫をしてるんだなぁって想いながら見ていた。

それから、レタリング辞典もお気に入りだった。
辞書みたいに分厚くて、いろんなレタリングが並んでいる、モノクロの本で、別段面白いものでもないのだけれど、あくことなくそれを眺めているようなこともあった。

小学校の図工の時間というと、実は結構木の葉さんが手伝ってくれたこともあり、そういう作品に限って、都の展覧会とかに出てしまって、困ったことがあったのだが、父は私の作る作品をとても大事にしてくれていた。

小学生の頃に、近所で陶芸をやっている女性がいて、そこに友人と通っていた。
陶芸を習っている、ということだが、習っている、というより、作りたいモノをひたすら作る粘土遊びのようなもので、箸置きや吸い殻入れ、筆箱、姫だるま、小さな皿、なんだかよくわからないものなど、いろんな作品を作っては、釉薬をかけて焼いてもらっていた。あるとき、私が友人にその中からいくつかをあげてしまったら、父にものすごく怒られたのを覚えている。

中学校の図工のときに作った粘土を板に貼り付けて作った絵、丘の上の空にピンクの象や灰色の象が雲の間を遊んでいるものは、今も居間に飾ってある。木の葉さんの素敵な絵と比べると、いいのかな?と思うんだけど、父はとても大事にしてくれているのだ。

その後、中・高・大は私も部活のバスケットボールにいそしんでいたから、特に印象の強い出来事なく来ているのだが、社会人になって、再び、父の偉大さを感じるようになる。

仕事で、写真を撮るようになり、アドバイスをもらったり、改めて父の写真を見るようになって、なんと偉大なカメラマンであることか、と、驚くことになった。そして、ここ数年、父に写真の仕事を頼むようになり、改めて、芸術家、というより、職人、というのがふさわしい父の写真のすごさを知る。

絵は描いてもらったらそれが唯一の存在だが、写真はそうではない、と、言う人がいるが、とんでもない。複製ができるのは絵も同じ。この人にしか撮れない写真というのがあって、その瞬間をどうやってフィルムに収めるのか、共有してはじめて、とんでもない父をもったものだと驚愕したのだ。

光と季節、観察力と工夫、忍耐と計算、そして想像と創造、そして印刷物として再現する過程での細心の配慮--。

いやー。驚いた。こんなこと、他の人にはそうそうできるものじゃない。

そして、面白いことに、木の葉さんとじいじ(父)、二人に共通するのは自然、だったのだ。
美しい自然の移ろい、季節であり、時間であり、そして、命の輝きであり。
二人が、アート、という形で見つめてきたモノの根源には、自然、があるように思う。

あるがままの自然を再現するためには何が必要か。

いや、再現ではない。
実物以上の真実になることだってある。

自分の目で見たモノが父の写真に収まって、こんなに美しかったっけ?と目を見張ったことが何度あることか。見慣れた風景すら、初めてみるものに変わる。対象を写すのが写真だというのに。自分は何を見てきたのだろうか、と、これまた衝撃を隠せなかった。

だから、写真も絵画と同様に、対象を作品にする作業なのである。

では、作品として昇華させるにには何が必要なのだろうか。

それには、ただただ、相手を知ること。
自然であり、人のこころであり、再現する手段もそう。
そして、自分が思ったとおりに表現できるように、鍛錬すること。

・・・と私は思っている。

今の私は、まだそのスタート地点に立ったばかり。
ていうか、まだ、どうやってそれを成し遂げればよいのか、自分の方法も見つけ出せずにいる。

これから、息子たちとのくらしを通して、父母が到達したところまで、いろいろなものを見て、感じることができるようになるだろうか。
そして、見つけ出した方法で、それを表現することができるようになるだろうか。

それには、まだまだたくさんの時間が必要。
二人の中に蓄積された文化と知識に及ぶことはできそうにないけれど、近づくことはできるはず。

自分の足で立って、いろんな経験をして、しっかりものを見て。
いつか、自分の感じたモノを、自分の選んだ手段で、思った通りに再現できるようになりたい。
道のりはまだ長いけれど。ね。

あ、あともう一つ大事なことを忘れてた。

料理もそうだし、毎日のくらしそのものが、わが子達にとって最良の環境であるように。
それを提供し、維持することが親の務め、だから。
自分がこれだけ多くのことを両親から吸収させてもらったのだから、自分の愛するわが子たちにも当然、そうあるべきと思う。

ま、彼らがそうであったように、自分も自分の途を行くだけの話なんだけど。
そうすれば子は親の鑑というから、勝手に欲しいモノを持って行くだろう。

しかし、そう思うと、自分ももっと人生精進しないとなー。
さぼっている暇はなさそうです(笑)。


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木の葉さんが教えてくれたこと。 [mamaruのこぼれ話]

昨日、サブダ氏の展覧会を見に行ったせいか(http://blog.so-net.ne.jp/mamaru/2006-12-25)、夜、子ども達が寝静まってからMixiで懐かしい名前をいくつも発見したりしたせいかわからないが、昨夜はなかなか眠れなかった。

ちょうど真夜中頃に、風邪引き長男の咳が結構続き、寝返りをうつ息子の布団を気にしながら、ウイルス満載の唾液から次男をブロックする壁として立ち向かったりしてたらますます寝そびれ、その間、脳裏にはいろんな文章が浮かんでは、消え、していた。

やっぱり、寝る前のパソコンはするもんじゃない。
なんだか脳が冴えるのだ。
睡眠10時間の、今の私のしょうに合わないことこの上ない。

でも、頭に浮かんだことは書き留めておこうかと思う。
なんか放っておくと忘れそうだし。

さて、このブログを書き出してから、よく、アートなひと、のようなお褒めの言葉をいただくが、いたって普通の人間(でもないな。宇宙人って言われるくらいだから)で、美大に行ったわけでもなく、美術の知識があるわけでもなく、ただただ創ることが好きで、好奇心が命ずるまま感じるままに見て書き散らしている自分としては、こそばゆく、なんだか気恥ずかしい。まったく作品、と誇れるような、洗練されたものは創ってないし・・・。単なる手遊びだもんね。

しかしながら、こうしてまとまったものを振り返ってみると、確かに、アートが身近にあるというのは確か。でも、師匠があるわけでもないし、勉強した記憶もない。いつしか、今の私ができあがった。だから、強いて言えば環境が、私の先生。中でも、一番影響を与えているのが、父母--木の葉さんとじいじの存在だ。

今日は、木の葉さんからいつしか吸収したことを思い返してみよう。

木の葉さんは、私の記憶で思い出せる限りいつも傍らに絵を描くこと、を置いて生活していた。

一番最初の記憶では、たぶん油絵をやっていた気がする。確か、私も見よう見まねで1枚くらい描かせてもらったような気がする。
それから、天使とか、ペンで繊細なイラストを描いて透明水彩で着色するような絵も描いていた。

私が幼稚園から小学校に入る頃ではないかと思うが、鎌倉彫も、生け花もやっていた。
ともに師範クラスの腕前になるまでお稽古を続けていた。
鎌倉彫教室についていったようなおぼろげな記憶があるし、また、生け花は原宿から引っ越した、今の実家があるところの裏が、たまたま先生だったのだ。
ということで実家には生け花の看板もある。はず。かけたの見たことないけど。

私はいつしか、日本の文様とかぽち袋、のようなデザインとかが好きになっていったんだけれども、そうしたデザインを一番最初に認識したのがこの鎌倉彫ではないだろうか。
そぎ落とされて洗練されてデザインになった植物や動物たち。
そうしたものが好きになったのは、きっと鎌倉彫にルーツがあるんだと思う。

生け花のお稽古のときは、母の傍らで残りくずを剣山に刺したりして遊んでいた気がする。
生け花は毎週見ていたから、理論はわからないけど、なんとなく、花の配置、バランスというのを理解したように思う。さまざまな形状の花器の上に、多様な色、形の植物を配置していく。
美しい、と思われるバランスを創ること。それが生け花だと思ったのだ。

次の記憶は、母の道具たちだった。

普通、子どもの頃使う色彩の道具はおきまりの12色だけれど、私は、学校では当然12色の道具たちを使っていたけれど、家には、60色の色鉛筆とかパステルとか絵の具とか、なんだか、さまざまな色の道具たちがあった。そして、それは、母の大事な道具たちだったけれど、母は子どもだった私たちが使うことを全く制限しなかった。だから、よくいろんな色の色鉛筆にほれぼれしながら絵を描いたりしたものだ。

そして、例えば、オレンジの仲間には、「山吹色」とか「橙」とか、12色の世界では1色として認識されてしまう色の中にもいろんな色があることを知ったのだ。
だから、小学校で色の名前、と言われて、「山吹色」と答えたし、そして、級友達に揶揄されたときも、なんでだろう?あるのに、とすごくすごく不思議だったのだ。

そうして、12色だけではない、多彩で美しい色の世界も大好きになった。
紙にもいろんな紙があることを覚えた。

また、当時、木の葉さんとはよく一緒に散歩をした。
すると、いろんな植物や虫を見つけて、名前やそれにまつわるいろんなことを教えてくれた。
拾いモノもよくしたし、夜陰に乗じて花盗人、なんてこともあった。
今でも彼女のアトリエには、いろんな拾いモノコレクションがある。
旅をしても、そこらへんを歩いていても、宝物が見つかるのだから。

落ち葉を貼り絵にして絵を描いたこともあった。
紙粘土や父の仕事で行っていたワイン工場で山ほどもらったコルクで工作をしたり。
いろんなものを一緒に創った。

中学校か、高校生ぐらいの頃からは、彼女は書道をはじめた。
近所のお寺で、習い始めた。
一生懸命練習をし、時々作品を創る。
「どれが一番いいと思う?」
よくじいじや私、弟に問い、そうすると、それぞれが感じたとおりに好きな作品を評価した。
書道なんか私、習ったこともないし、全然わからないけど、自分が好きなモノを答えてた。

そして、書道の傍ら、落款、はんこも彫り始める。
スタンプってなんか楽しくって好き。
だから、私も、落款を見るのがとても好きだった。

そして、書は落款の位置や形も含めてすべて作品であることを知る。
小さな紙片に朱い落款を押し、いろんな場所に置いてみると、作品のバランスが変わる。
あんなに小さなはんこなのに!まさに小宇宙のよう!
さらには、表装、表具なども総合した上で、「作品」が仕上がっているのだなぁとわかる。
そして、私自身は表装する、という作業にとても心惹かれたのだ。
文様がいっぱいだったからなのか、なぜだかよくわからないのだけれど。

大学を卒業して社会人になって、私は広報の仕事をすることになった。
そして、訳もわからず、書や美術を見て、それの記事を書くこともあった。
当然、書はもちろん、美術史やらそういう知識もまるでない。
そんなとき、私は、木の葉さんの作品を見ていたときにやっていた通り、感じたモノを言葉にするようになった。誰も見方を教えてくれなかったし、書き方も教えてくれなかったから、ただ赴くままに。
それでも、誰もおかしい、とは言わなかったし、仕事を通していろんなものを見たり聞いたりするにつれて、自分のモノの見方や感じ方も育ってきて、だんだん、安心して書くようになっていった。

一緒にでかけた博物館や美術館では、いろんな画家やモノを知ることになる。
若冲という存在を教えてくれたのも木の葉さんだし、仙厓さんもそう。
ピカソやマティス、ミロは自分が勝手に好きになったんだと思っていたけれど、小さい頃に木の葉さんに連れられてでかけた美術館にそのルーツがある。
一緒に絵を見ていると、ちょっとした解説があったりして、へぇ、そういうものかと面白くなるのだ。

その間、木の葉さんは、筆を使った和風の絵も描いていた。
酔っぱらった、ちょっとじいじにも似た鬼の絵のシリーズとか。
ひょうきんで、砕けた七福神や風神雷神、鬼の絵。
一連のシリーズは明るい色彩も美しく、私もお気に入りの絵。
ちょうど書道をやっていた頃はそんな絵が多かったんじゃないだろうか。

そのほかにも木の葉さんは、植物の細密画のような絵を描いたり、ペン画を描いたり。
ある出版社の社長さんとの仕事では、風景の鉛筆画もずいぶん描いていた。
そうした仕事を通して、彼女の絵はまた変わっていった。そして育っていった。
本を作る仕事とその中で絵がどういう意味を持つのか、そんなものを感じていた私。

木の葉さん流の絵手紙を描き始めたのもそんな頃だろうか。
絵を描くというより、気持ちを伝えるための手段として。
巻紙を使って描くこともあったし、筆で文章をしたためることもあった。
いつもどこからか頂きものをすると、木の葉さんは必ず文をしたためる。
こころを伝える、とは、そういうことなんだよな、と、思う。
今、自分が別の家を構えるようになって、忙しさにかまけて何もしていない自分を悔いることがある。

そして、木の葉さんは、ついに日本画と出会う。
それまでさまざまな絵を、さまざまな画材を使って描いていたが、私は、日本画との出会いが一番彼女にとって大きいのではないかと思う。

画材をよく見て、描くこと。
植物を中心に、丹念に見て、丹念にスケッチする。
何百枚も描いていくうちに、確実に彼女のスケッチ力は向上し、線が美しくなっていった。
彼女が、自分が見つけて、描きたくて描いた植物や魚のスケッチはそれだけで一枚の作品。
じいじもいつもそういって気に入っている。
対象への愛情や好奇心、こころがいっぱいに入った新鮮なスケッチが一番いい、と。

正直な彼女は、無理矢理描いたものは、無理がでる。
スケッチや作品になったときに、なんとなくそれがわかるのだ。
好きなモノは作品になっても、ちゃあんと好きってメッセージが伝わってくる。
好き!って気持ちが絵からびんびん伝わるとき、私もとってもうれしい気持ちになるのだ。

今、自分がしかけ絵本を創ろうかなと思ったり、息子のためにいろいろと描いていると、自分がいかに対象を見てなくて、描けないか、がよくわかる。
子どもだった頃は、自分の頭の中で勝手にキャラクターにデザインされて出てくるからスケッチができないのだ、と思っていたけど、今は違う。スケッチができれば、そのキャラクターをいろいろに変化させて動かすことができるはず。デザインに仕立ててくみ上げることができるはず。

でも、自分は対象をちゃんと見てない。だから、デザインとして洗練させていく作業ができないのだ。
ちょっと凝ったしかけ絵本創ってみたいと思うと、やっぱりスケッチしてみないといけない、と思う。
対象の構造がわからないのだ。それがわからなくては、いいしかけはできないはず。

・・・と、自分のルーツをちょっと振り返っているつもりが、いつの間にか、今から自分がやらなければいけないことを書いているようだ。

まぁ、でも、今、一番やらなくちゃいけないのは、こどもたちをきちんと育てること。
木の葉さんやじいじからせっかく受け継いだものを、少しでも多く伝えていきたいから。

それが一段落したら、今度は自分の表現の世界を探すことになるんだろうか。
イラストレーターもちゃんと使えるようになりたいし、陶芸もしたいし、ペーパーワークもしたい。
表装みたいなことにも興味があるし、やりたいことはいっぱい!

あと10年はできないかもしれないけど、人生は長いからそれからでも間に合うはず。

・・・とかいって、仕事復帰したら、もうそれにかかりきりになって、必殺仕事人、になっていたりするかもしれないんだけど。

どんな人生が待っているのか、ほんと、楽しみなんだぁ。


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食いしんぼ★バトン [mamaruのこぼれ話]

今日は朝から近所のちょっと大きめの書店を2軒、ある本を探してうろうろ。
でもさぁ。ないんだよね~。新聞出てたから絶対あると思ったのに。
でも、お店の人に聞くのもな、と思い、いいや、Amazonだ、と帰宅した次第。
最初からAmazonにすれば時間が無駄遣いにならないのにね(笑)。
どうも、今週は買い物運に見放されてるみたいだ。おとなしくしとこ。

そういえば、皇室には男子がお生まれですねぇ。
うちのちびたんと悪ガキ友達になりえる?!
いわゆる「ご学友」・・・なんてね~。家柄ではねられそうです(笑)。

私の体調の方は2日連続のおでかけのせいか、今日の天候悪化を予測してか、昨夜はむらむらと尾てい骨周辺がやはり鈍く痛み、お腹は張りまくり。「ね~、生まれたらどうしよ~。自宅出産だったら・・・」という私に、パパは「おまえ、前の(つまり息子の)出産のときも、ずっと痛いとかなんとか言ってたぞ。記憶力ないよな・・・。しかも、結局最後は切って生まれたんだから、そうそう簡単には生まれないよ。脅かされてるの!」と冷静なお答え・・・。ちったぁ、心配してくれい!

今週の金曜日は満月みたい。そして、部分月食もあるとか?
さぁ、我が家のXデーはいつだ?!

・・・と写真がないのも寂しいので脈絡ないけど、入れてみた。
ちなみに、このブルーベリーはF君土産でいただいたのをLeCreusetで煮たのだ。
三温糖だけ足して、ゆるい感じに仕上げたけど、やっぱり自分で煮た方がおいしいね★

さてさて、駅長ママさん(http://blog.goo.ne.jp/aikoekichou)からいただいたくいしんぼバトン。
昨日、よもやの消滅・・・で、気を取り直してもう一度。

1.このバトンを廻してくれた人を食べ物に例えると?
人形町といや、”鯛焼き”なんかどーです?
中身充実で、かつ、親しみやすさも備えつつ、姉御肌な頑張りやな感じ。
ちょっと欲張ってあんこがはみ出すあたりなんかも(笑)。
食生活見てると、パンとか洋食、エスニック、中華ーって感じだけど、なんとなく、ご本人のイメージっていうと和を感じるんだよねぇ。

2.朝御飯は何でしたか?
本日は
 ・ドライフルーツ入りシリアル&牛乳 ・ぶどう(デラウェア) ・ボイルドウインナー&ポテト
ちなみに、消えた昨日の朝ご飯は
 ・芋ご飯のおにぎり ・麦芽豆乳 ・梨 ・ヨーグルト
でした。ここ2日は、ちょいと軽めの朝ご飯。

というのも、「遊び一筋」の息子を食事にお誘いするのに彼の好物や食べやすさを考慮して、メニューを構成しているから・・・。とにかく1日中遊びたくて仕方なくて、「ごはん食べるよ」「いらなーい」って言うのを回避しないと、まず食事の導入からして困難なのだよ~。食べ出しても、とにかく早く食べて遊びに戻りたがるし・・・。年頃なのだと思うけど、まぁ、毎日一苦労です(笑)。

3.好きな食べ物を三つ。
3つしかあげられないなんて!そんな殺生なー。
ということで素材や料理法で3つにするかな。そうすれば範囲が広い!
 ・白身&貝 ・香草類 ・酒の肴系
・・・って3つじゃない? まー、いーじゃないの(笑)
基本的に和食派ですね。うちのブログ見てるとそうは思えないかもしんないけど・・・。

4.嫌いな食べ物を三つ。
まずいもの。嫌いっていうより、あまりに辛い物は苦手だな。
これは絶対嫌いだからやめて!っていうものは、思い当たらないけど・・・。

5.和洋中、好きな順に並べてみると?
 和中洋
・・・かな。ただし中華はおいしいのに限る!油が悪いと胃もたれして食べられたもんじゃない。
エスニックや韓国料理は中華と同じラインかな。
洋食も嫌いじゃないし、調理が手軽なので食卓への登場頻度は多いけど、和食が一番好き!

6.好きなお菓子は?
 落雁・生麩・麩まんじゅう・おいしいせんべい(とろろ巻き好き)・かりんとう
 おいしいおまんじゅう(あんこが甘過ぎなくておいしいものに限る)
 チョコレートはビター板チョコかオレンジピールチョコ、珈琲ビーンズ入り
 クッキーは手作りかラングドシャのちょことかないやつ
 あ、ベビースターラーメンも好き★ 笑っちゃうんだけど、息子とくろべえにも伝染した(笑)。
 おいしいプリン

8.好きなフルーツは何?  ・・・ん?7.がないぞ?・・・ま、いっか・・・
 紅玉の煮たの、甲斐路(ぶどう)、アップルマンゴー、洋なし、文旦、サマーオレンジ
息子が生まれてフルーツ全般に親しむ機会が増えたなぁ。ま、なんでも好き。
あ、でも、キウィだけは実は苦手・・・食べると耳の中がかゆくて、かゆくて!

9.好きな卵料理は?
 温泉卵、父が作るオムライス
基本的に半熟派、卵の黄身には醤油味が好き。もこもこした食感はあまり・・・。
ということで、昔は卵料理ってあんまり好きじゃなかったんだよね~。実は。

10.好きなラーメンの味は?
 とんこつ
こればかりは九州人の血が入ってるから? かな?
まぁ、でも、醤油・塩・味噌、いずれも食べるし、おいしいのはおいしいと思う。
中華のラーメンも好きだし、夏の海の家のもそれはそれで風物詩だし・・・。

11.好きなパスタは?
 ラザニア フェットチーネ
きしめん系、ぴろぴろ系が好き~。
具は家で作るのはトマト系が多いけど、バジルも好きだし、オリーブオイルのも好き。
ニンニクは必須だな。
昔、ほうれん草の手打ちラザニアを作ったとき、パスタマシーンがないから自分でのばしたら、なんじゃこりゃーっていうようなごついラザニアのおばけのようなものが完成し、パパとともに、ぼーぜんとしながら食べたのを思い出した・・・。

12.好きなカレーの具は?
 グリーンカレー 豆
具の好みは、その日によって変わるから、肉類、魚介類のいずれも好きだし、野菜も・・・。
でも、グリーンカレーは好き。あと、豆の入ったカレーは好き。
ちなみにライスで食べるのもいいけど、ナンとかインドパンがあればそっちで食べたい派。

13.好きな鮨ネタは?
 白身、貝、エビ。巻物だったら、穴キュウ、梅しそ、ヤマゴボウとか。
でも、ときどきむらむらとサラダ巻きみたいなのとかカリフォルニアロールを食べたいときも。
ちなみに我が家ではじいじが寿司職人になって食べるのが定番なのだ。
いなりずしは、木の葉さんのが一番!

14.好きなおでんの具は?
 練り物全般 ちくわぶ 大根 こんにゃく 牛筋 たこ トマト 水菜
家で作るおでん・・・練り物全般好きなので・・・。
トマトや水菜は、家でつくるおでんじゃなくって、薄味のお店おでんでいただくもの。
「おでんくん」のアニメも好き♪

15.好きなおにぎりの具は?
 焼きたらこ 筋子 梅かつお 高菜 しらす
でも、一番好きなのは、「ほかほかのしおむすびにとろろこんぶをまいて食べる」。
ということで具のないおむすびなんだよね~。
しかし、とろろ巻きおむすびを弁当で持って行くと、昼にはカビ玉のようになっているので注意!

16.好きなケーキは?
 シフォンケーキ チーズケーキ フレッシュフルーツのタルト てづくりのパウンド
生クリームがおいしいのじゃなきゃいや。チョコとかマロンは実はあまり選ばないかも。
ムースとかババロア系も好きかなー。
ま、来る物拒まず、なんでも食べるよ。

17.好きな焼肉は?
 ホルモン 砂肝 ミノ センマイ レバー ・・・肉より内臓系
肉も嫌いではないけど、基本的に内臓食わせろ~な私。
生肉も好きなんだけど・・・ほんとは妊婦は控えた方がいいらしいよね~。
控えてないけど・・・。

18.好きなファーストフードは?
 モス フレッシュネスバーガー
でも、ほとんどいかない。時々むらむら~とほしくなって吸い込まれるけど・・・稀なこと。
たまたま昨日はそんな日にあたり、フレッシュネスバーガーにて昼食(http://blog.so-net.ne.jp/mamaru/2006-09-05)だったんだけどね。
あと、カップヌードルのプレーンなのと、赤いきつねも、むらむら~とすることがあるなぁ。

19.好きなお酒は?
 日本酒 焼酎 泡盛 ワイン ジン チンザノ 紹興酒
冷や、ロックが主。炭酸系はあまり得意じゃない。
カクテルは飲むならショートだが、でも、そういう店ではだいたいジンロックとか飲んでる。
色気ないよね~。
ウイスキーは基本的に飲まないけど、お湯割りを上手に作るとおいしいなって思ったり。
日常、我が家の夕飯は「その日の夜の酒」から決めていく方針。
自分が飲むっていうより、パパに何を飲ませようかなっていう感じだけど・・・。
・・・あくまでも、「今は」だけど。

20.どっちが好きシリーズ
紅茶/コーヒー:
 家では紅茶。外では珈琲。珈琲ではエスプレッソが一番好き。
ハム/ソーセージ:
 ソーセージ。じいじ、久々に手作りソーセージ食べたいなぁ・・・。
餃子/春巻き:
 浮き粉の餃子。普通の餃子だったら、春巻きと迷うところ。
 でも、家で作るのは普通の餃子だけどね~。あとは生春巻きか。
うどん/そば:
 おいしい手打ちそばだったらそば。でも、そうじゃなきゃ、うどん。
 あときしめんも好き。
 家で食べるのは主にうどん、かな。
肉まん/餡まん:
 肉まん。あんまんならごま。あと花巻、マントウなどの具なしも好き。
 今日のおやつには肉まんを食べようと買ってきたよ!

21.好みの食べ方シリーズ
焼き鳥:
 塩かなー。素材によってはたれもいいけど・・・。
 今日は軟骨買ってきてあるので、塩焼きにしよっかなー。
 焼きトンも好きよ。
天麩羅:
 薄味の天つゆか塩。場合によるな。山菜とかは塩のほうが好きだし・・・。
 でも江戸前のこっくり天丼も好き。
目玉焼き:
 焼いているときに塩。だけど半熟に醤油も好き。
ハンバーグ:
 調味料なしで食べることも。基本はケチャップか、ソースかな。
サラダ:
 温野菜のほうが好きだが、ドレッシングは家で適当につくる。
 オリーブオイル、ごま油などがベース。あとは気分で。オイルなしのもするよ。
 ポテトサラダはマヨ。

22.今まで食べたことのあるゲテモノ系で「わりと美味しかった」ものは?
 記憶の中に「ゲテモノ」にカテゴライズされるような食べ物はない気がする。たぶん。

23.皆が「美味しい」というけれど、自分はあまり好きではないものは?
 外食。
嫌いじゃないけど、家のご飯っておいしいなーって思うことが多いかも(笑)。
出不精なんだよね。基本的に・・・。
でも、メニューじゃ特にそういうのはないなぁ・・・。

24.お気に入りのお店や常連と化しているお店ってある?
 チーズ好きなので、神楽坂「Alpage」はお気に入り。
他は通い詰めてる店とかってないな。まぁ、近所の飲み屋さんはいくつかあるが・・・。
最近、外食自体あんましないからね(笑)。

25.遠足のおやつは300円まで。300円分のお菓子は何を買う?
 駄菓子 
麩菓子とベビースターは絶対入れる!
昔、おやつといや木の葉さんの手作りだったので、駄菓子はあこがれでね~。
あとはなんだろ・・・。

26.「おみや」や「おもたせ」に持って行くものって決まってる? 
 酒 花
のんべえの家なら基本的にお酒。飲まない家だったら花束が多い。
お菓子を買っていく場合は、ティータイムで一緒に食べようと最初から約束して持って行くケース。
あと、ママになった友人の家にいくときは、昼ご飯自体を買っていくこともあるかな。
おみやだけど、基本的に消費して帰ってるかも(笑)

27.オススメの「お取り寄せ」は何?
 「北のフードソムリエ」のいくら 
 「兵四郎だし」
 諸江屋のお菓子
 丸八の加賀棒茶
前者は、いくら嫌いの木の葉さんも瓶を抱えて食べたくなるおいしさにびっくり。
他の素材もときどきお取り寄せしてる。
「兵四郎だし」は実家で取り寄せてるのをもらってる。手軽においしく和食ができるので。
金沢は諸江屋のお菓子類や動橋は丸八の加賀棒茶、という石川県シリーズは好物。

28.超手抜きでも美味いご飯は何?
 我が家のご飯
一見まめで豪華だけど、だいたい手順は3つくらいで対して手がかかってない我が家のご飯。
素材と調味料があれば、凝った料理や腕がなくともおいしいよね~♪

29.今まで食べた中で一番高かったもの。
 高いワイン
・・・たぶん・・・自分で払ってないものに、たぶん、それがあると思われ・・・お酒も食事も。
だから、いまいちわかんないなー・・・。
餃子大会しようと、1袋5000円の乾燥フカヒレとかひょいと買うのは高いほうだな。
600円!って狂喜して木の葉さんとデパートで買った刺身は実は600円/gで合計いくら?とか。

30.今まで食べた中で一番大きかったもの。
 鹿肉のロースト 神楽坂の20人前が1つになってる餃子
前者は父が注文して家で焼いてくれたやつで、あれは大きかった!
でも、結構鳥の丸焼きとかでかい肉を焼く家だから、そんなに一番大きい、って気もしないが。
あと後者は、職場の人が連れて行ってくれた店で、そこはいろんなでっかい中華がある。
あれはでっかかったなー。

31.小さいときのご馳走といえば。  
 鳥の丸焼き ちきんぱ
お誕生日とか父がよく鳥の丸焼きを焼いてくれたのが大好きだった。
あと、ちきんぱ、ってのは、ご飯を型に入れて山盛りにしたやつ。なんか特別感あって。
他にご馳走・・・って言われてもなぁ・・・なんか日常、結構一般的にはイベント的食事で出てくるようなものをよく食べている家のような気がする・・・。でも、グルメとかお取り寄せ、みたいな高級なお食事っていうわけでは決してなく、父があちこちと歩き回って食材を仕入れてきて作ってくれる、まさに「ご馳走」って感じ?
平日は木の葉さん、週末はじいじ(上記で言えば父)っていうイメージで、やっぱり週末になると晴れの食卓って感じになるから、ご馳走はじいじのイメージなんだよね。

32.お金無いときに食べるものといえば。 
 米
何はなくとも米はある。でも、他のお金を削っても食べるお金は削らない人。

33.食べ物に関しての辛い思い出ってある?
 ?
うーん・・・思い当たらないなぁ・・・。
息子が食べてくれない日とか(笑)
一生懸命作ってわくわくして待ってたのに、パパが急に飲みに行って、食べる気なくすときとか。

34.食べるときに心がけていることは何?
 よい素材のものを感謝して残さずおいしく楽しく食べる
命をいただいている、ということで感謝して残さず食べるのは基本。
あと、グルメな素材、っていうわけではなく、健康で新鮮な素材をいただきたいところ。
そして、それをみんなでわいわい食べるのが最高の楽しみだよね★

・・・以上でござりました♪

今度は消えないでできたよー。
しかし、結構短めにまとめていったけど、ボリュームだね~。

それでは、お昼ご飯をいっただっきまーす★

・・・あ、そうそう。私、バトンはまわさない派、なんですけど・・・
でも、かつらちゃんとtamixさんの食いしんぼバトンは見てみたい気がする・・・
お時間あったらぜひよろしく★


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